ひし美ゆり子(友里アンヌ隊員役)が語る、「ウルトラセブン」が愛され続ける理由──いま振り返る撮影の日々、そして作品を彩った音楽たち

日本の特撮史に燦然と輝く金字塔「ウルトラシリーズ」。その音楽世界を築き上げたのが、シリーズの原点である「ウルトラQ」「ウルトラマン」を担当した作曲家・宮内國郎氏と、「ウルトラセブン」を手がけた作曲家・冬木透氏である。1979年にLPで発売された『交響詩ウルトラマン/ウルトラセブン』は、この二人の系譜を、作曲者自らによるオーケストラ・アレンジで壮大に再構築した作品として知られている。今回本作が初のSACD化として完全復刻され、2025年12月24日にリイシューリリース。オリジナルのアナログテープからリマスタリングが施され、アナログからデジタルへと時代が移り変わった今だからこそ、彼らの音楽に宿る人間味や温もりが、より鮮明に響き渡る一作となっている。
OTOTOYでは、このリリースを記念し、「ウルトラセブン」で友里アンヌ隊隊員を演じたひし美ゆり子氏にインタビューを実施。撮影当時の貴重なエピソードから音楽への想いまで、じっくりと語ってもらった。同時公開の桜井浩子氏(「ウルトラマン」フジ・アキコ隊員役)のインタビュー記事とあわせて、ぜひ楽しんでほしい。
桜井浩子氏(「ウルトラマン」フジ・アキコ隊員役)のインタビュー
『交響詩ウルトラマン/ウルトラセブン』ハイレゾ配信中
【演奏】小松一彦 指揮 東京交響楽団
【録音】1978年12月3日
福生市民会館におけるセッション録音
●収録曲
【交響詩「ウルトラマン」】 作曲、編曲:宮内國郎
1.ウルトラマンの歌
2.科学特捜隊の歌
3.シーボーズのテーマ
4.科特隊出撃
5.ウルトラマンの敗北
6.進め!!ウルトラマン
【交響詩「ウルトラセブン」】 作曲、編曲:冬木透
7.ウルトラセブンの歌
8.怪獣出現
9.ウルトラホーク発進
10.侵略者の魔手
11.さよならウルトラセブン
INTERVIEW : ひし美ゆり子(「ウルトラセブン」友里アンヌ隊員役)
1967年10月に、円谷プロダクションの空想特撮シリーズ第3作として放送開始となった「ウルトラセブン」。この作品は、ウルトラマンシリーズのなかでも屈指の名作とされ、現在も多くのコアファンを持っている。そのヒロインである友里アンヌ隊員役を担ったのが、ひし美ゆり子である。1997年に最初の自著本を刊行してからは、書籍、イベント、ブログ、SNSなどを展開するいっぽうで、しばしばメディアにも登場。30年近くにわたり、作品を象徴する存在としてファンとの交流を重ねている。
インタヴュー・文 : 青山通
アマギ隊員が、「マジックで手が汚れたアンヌもきれいだよ」と言ってくださいました
──「ウルトラセブン」の初回放送は、1967年10月から翌1968年9月までの1年間でしたね。アンヌ隊員役としての撮影の日々は、いかがでしたか?
ひし美ゆり子(以下、ひし美):私は、俳優の仕事に対して「気負い」というものが、なかったんですね。いっぽう撮影はとてもタイトでしたので、ひたすら台詞を覚えてそれをアウトプットしていく、それで精一杯の毎日でした。
──完成した作品は、当時、どのようなかたちでご覧になっていましたか?
ひし美:私たちはアフレコの形式(撮影した後で、映像に合わせて声を収録する方法)だったので、そこであらかた映像を見るんですね。その後、関係者で完成作品を放送前に観る「初号試写」という機会があるのですが、それは観たり観なかったり、でした。
──観ないときは、どんな理由だったんですか?
ひし美:約束があったりとか、用事があったりとかで。観ても観なくても、どちらでもいい感じだったんです。その後のテレビの本放送も、観たことはなかったですね。アフレコのときに観ているから、いいかな、と。
──作品の放送期間、サイン会などのイベントで日本全国に行かれていましたよね。印象的だったことはありますか?
ひし美:大きめのイベントで覚えているのは、放送が始まって間もない頃に九州で開催されたものですね。ご家族連れで、大勢いらしてくださいました。イベントそのものが初体験だったので、「こんなに人が集まるんだ!」とびっくりしました。
──東京のデパートでもサイン会をされたとか。
ひし美:はい。1月15日の成人式の日、私はせっかく着物を買っていたのに、サイン会があって成人式に出られなかった。振袖姿の女性たちを見て、「みんなきれいだな、いいなあ…」とつぶやいていたら、アマギ隊員(古谷敏)が、「マジックで手が汚れたアンヌもきれいだよ」と言ってくださいました。やさしい方でしたね。
──さて、昭和の時代のテレビ番組は一期一会のものでしたが、平成に入る頃からは放送・通信やメディアの発達によって、過去の作品にも光が当たるようになりましたね。私の印象では、「ウルトラセブン」はその嚆矢として、1990年代から再評価の波が拡がっていったように思います。ひし美さんは、その頃、いかがでしたか?
ひし美:私は1997年に、初めての自著本となる「セブン・セブン・セブン わたしの恋人ウルトラセブン」を出版したのですが、そこが転機だったように思います。
──刊行された本は、どのような反響でしたか?
ひし美:すぐに、2刷、3刷と版を重ねていったんです。そのスピードが速くて、版元の小学館の方もびっくりされていましたね。その様子を見て、私は「ウルトラセブンって、いまでもこんなに人気があるんだ」と、初めて感じました。だってその頃って、放送開始から30年も経っていたんですよ。
──そこから、ファンの方々との繋がりが拡がっていったんですね。
ひし美:そうですね、この後、「ゆり子の部屋」というホームページを立ち上げることになります。知り合いのご夫妻に勧められて始めたんです。1999年にはこのページを通して、ファンの方とオーストラリア・ツアーに出かけたこともありました。CMのロケで訪問したゴールドコーストがあまりに良かったので、私が企画したんです。
──調布の飲食店、「アジアン・タイペイ」でのイベントには、私も何回か参加させていただきました。
ひし美:あそこでは、かなりの回数のトークイベント等を開催しました。毎回、豪華なゲストに来ていただきましたね。インターネットでは、その後ブログよりもTwitter(X)がメインとなりました。最近はどんどん仕様が変わるので、少し困っていますが…。
──ファンの方と交流して、印象的だったことはありますか?
ひし美:「ウルトラセブン」のことを聞くと、皆さん、なんでも知っているんです。本当にくわしいんだもの。「あの作品のあの人、誰だっけ?」とか「あれは第何話だっけ?」とか、質問すると即答してくれるんですよ(笑)。






































































































































































































































































































































































