生活してる中で感じる、言葉では表せないような繊細な嬉しさとか悲しさが詰まってる

──ふたりはDJ活動もやってるけど、どういうモチベーションなの?
碧:作曲しながらはなんか難しいというか。DJはいま優先順位は低いかも。自論として、DJって音楽を使った時間表現であって、音楽表現と少し違うというか。お客さんが踊れているか、場をキープできているか、穏やかな時間が流れているか。その時間の伸び縮みを、音楽を使って表現するものだと思ってて。作曲のように完成した音楽が結果じゃないから全く別物で、どちらものバランスを取るのは難しい。
草一郎:そこが楽しくてやっているところはあるけどね。自分の好きな曲をかけただけでその場の空気がガラッと変わったりするのって、DJでしか得られない体験だし。あと、意外とみんなライブと違ってDJに対するリスペクトって薄いから、途中でパッといなくなったり急に入ってきたりする。それもDJにしかない緊張感だなって思う。
碧:でも、やっててよかったのは、ミックスするっていうところ。違う曲同士を合体させてそれを音楽として成立させるっていう手法は、the hatchに繋がってると思う。ミックスしてるときに「こういう曲作りたいかも」ってきっかけはもらえる。
──ふたりともプレイをフットワークと絡めて言及されることが多いよね
碧:フットワークっていわれすぎてるなと思うけどね。曲としてのフットワークはそんなに流してなくて、ミックスしたときに同じような作用が結果として生まれてるんじゃないかな。フットワークは、DAWでいうと、半分と倍があるのに対して、三連……1と2と0.333と0.666を入れていることが発明。ダンス・ミュージック的なグルーヴのなかにある、リズムの細分化の極地にあるものだと思う。
草一郎:僕もフットワーク自体はそんなにかけてないかも。最近は横の揺れ感とかを楽しむようになった。全然違うBPM、全然違うジャンルだけど、細かい上物とか雰囲気で繋いでいくことで踊れるみたいな。シームレスに、でも自分の好きなグルーヴでズレていくみたいな遊びが好き。

──グルーヴの話が出たけども、3rdはワン・グルーヴをキープしたまま進行する感触があるね。1stみたいな大胆な展開がなくなって、よりシームレスになった手触りがあるけれども。
碧:それこそDJの影響かもね。大まかに景色を辿っていくイメージで曲を書いた。「転がる種」と「Tohmei」は最初の方に作った曲で、この2曲の振れ幅で作っていけたらな、っていう軸になっていて。「Tohmei」に関してはアフリカン・ポリリズムをオルタナティヴなサウンドで再解釈していくっていうテーマを明確に持って書いた。
草一郎:3rdは一曲のなかで3つくらい感動するところがあるなって思う。一曲のなかに心の変化みたいなものがあって。それを出すために、似たように聴こえるけど微妙に違うふとしたリズムとか、ニュアンスの差をすごく意識した。アンサンブルについても、急激な展開がないからこそ、みんなで細かく話し合うことが多くなってきてると思う。
碧:ガツンと行くまでのカーブをみんなで作っていくみたいな。アンプリファイドされた楽器だけでシームレスな変化をコントロールすることって難しいから。そういう意味でも五人目が必要だったね。
──3rdは踊りながら、揺れながら、眺めながら、いろいろな聴き方ができるようになっているなと。
碧:すべての曲において、意地悪な構成がなくなったね。こっちから拒絶するみたいなマインドがなくなったんじゃないかな。あと、明確な閾値がある大きい音に対して、最近は小さな音の方が宇宙があるなと思っていて。繊細な音のなかにある表現の振り幅って、恐ろしいほどの大きさを持ってる。そういうことに集中していくための足掛かり的な気持ちも強いかな、今回は。
──ラウドだったりノイジーだったりしない方の豊かさというか。
碧:飽和させないっていうかね。必要以上にそっちの世界観に持っていく必要はないかなって気持ちがある。それにスケールが大きい曲が多いから。
──単純に今回、長い曲が多いしね。
碧:長くてよくね? って思って。普段16分とかある曲ばっかり聞いてるんだから。4分半までがいいとかいうけど、そもそもそういう価値観の人はthe hatchに辿り着かない気がする(笑)。
──大きく分けたら7曲でトータル40分以上あるしね。かといってプログレではないし。
草一郎:そのなかに、誰しもが生活で感じる、微妙でさりげない気分だったり、言葉では表せないような繊細な嬉しさとか悲しさが詰まってるなと思う。
碧:それはテーマではある。明確な喜怒哀楽の間にあるものを表現するっていうこと。そういうものがあるから音楽がコミュニケーションとして成立するし、自分が言い表せないような気持ちが他の人にも存在するんだ、ってことがわかると安心する。他の芸術と比べても、そこは音楽が明確に形にできることだなと思う。詩とかもそうだね。

──最近、よく詩集読んでるよね。
碧:詩も、もちろん芸術だから、喜怒哀楽の間にあるものを表現できるものだと思う。とくに、女性の書く詩が好きなの。男性にはない、柔らかい言葉で社会との摩擦を見据えてる気がして。女の人って、べつに社会的なスタンスを持ち合わせていない人でも、話してると自分が女性でいることに諦めや開き直りを感じることがよくあって。自分の性別を意識しながら将来を考えることって、男性はほとんどないけど、女性は常にそれがつきまとっているのかな。周りにも実は詩を書いてるっていう女の人は多い気がする。身分もお金も道具も必要ないし、そう考えると昔から詩は、女性がリードしてきたものなのかもとか。とにかく自分にない感性とか、新しい気持ちを教えてくれる詩は、女性の作家であることが多いね。
──好きな女性詩人はいる?
碧:斎藤恵子っていう人。40歳くらいまで学校の先生をやってて、そこから『現代詩手帖』に詩を発表しはじめた人で、口語的で取り繕いがなくて、ただ目の前に起きていることに対して書いてるんだけど。その目線の先にあるものに心を打たれる。さっき、そうちゃんがいったような、“感情が経過していくこと”をうまく表現してる人だなと思う。女の人の目線って、そのとき自分にとって必要な価値観に気づかせてくれる。考えないといけない時代でもあるし、自分自身は失礼な発言や態度をいままでとってきたし。
──そういう考え方にシフトしたのは、なにか具体的なきっかけはあるの?
碧:いまこういう時代に生きてて、考えない方が苦しいじゃん。世代によってはすごくハードルが高いことなんだなって思うけど、こんなに気づかせてくれるようなトピックが世の中に溢れかえってるのに、それに気づかないふりをしてる方が疲れる。開き直るような態度を取っていても、傷ついてくのは自分自身だし、それで身動き取れなくなるようなヤツをたくさん見てるから。
──そういう気持ちが「ただしいこと」のリリックに詰まってると感じるんだけど、あの歌詞はいつごろ書いたの?
碧:あれは最初、テニスコーツのプラットフォーム(Minna Kikeru)でリリースしたんだけど、その一週間前くらいかな。現代って、人権という言葉の解釈をみんなが考えてる。その解釈に対してもいくらでもいいようがあるし、そもそも議論じたいが無意味な空気もあったりして、お互いが開き直ってると思う。でも、24時間365日、全部の事柄を気にして生きるのは難しいから、気にする余裕があるときだけできればいいんじゃないかな。全く矛盾なく生きていける人なんてほとんどいないし、みんな間違い続けるんだから。かといって、開き直っちゃいけないと思う。
──なるほどね。
碧:「ただしいこと」ってすごく強いタイトルだけど、実際に言いたいのは「出来たり出来なかったりしてもいいんだよ」ってこと。自分の周りの人はいろんな事柄や問題に対して、「俺にはそんな余裕ない」とか「そんなこと考える余裕あんのは金持ちだけだ」とかいうけど、別に晴れてて気分がいい日だけ考えるのでもいいじゃん。そんなふうに、ずーっと考えてたことをお酒飲んで帰ってきたときに書いた。
──歌詞はふだん、どんな感じで書くの?
碧:基本的には曲が先なんだけど、メモはたくさんしてる。フワッとした感情のなかで出てきた言葉みたいなものを書き留めていて。ほんとは池間由布子さんみたいな、生活の些細な景色も美しく書けたらなと思うけど、the hatchのいまの音楽性には噛み合わない瞬間が多いかも。曲のテンションでいえば「巨大な滝が現れる」とか「伝説の鳥が虹を渡る」的な歌詞の方がハマるのかも(笑)。




















































































