ようやく自分が書いた歌詞に感動することもある
──メンバーから見て、小池さんってどんな人ですか。
山岡:うーん、僕はバンドはじめた頃から知ってますけど、当時の印象と今の印象がそんなに変わってない。そのまんまの人だなって思いますね。
儀間:うん。外から見た時と内から見た時でイメージが違わない。素直な人なんだなって思う。真面目だし。でも素直な天邪鬼、みたいな。
yucco:私は前のバンドで対バンした時、「怖いな」って印象だったんですよ。でもいざバンドに入ってみたら、違う意味の「怖い」になって。恐怖の怖さじゃなくて、驚きとか感動、尊敬とか。レコーディングの歌入れでも、人間技じゃないようなことをサラッとするから。
小池:そうだよね? それ誰も言ってくんないからもっと大きい声で言って!
yucco:(笑)。で、たまにほんとの「怖い」もある。そんな感じですね。
──佐藤さんから見ると、小池さんは変わったんでしょうか。
佐藤:うーん……私だから言えること、みたいなところで言うと、昔からすごい優しい人で。その優しさがいまは強くなったのかな、とは思いますね。

──小池さんはいま、楽しんで音楽をやっています?
小池:もちろん。それはさすがに、これNOだったら大問題ですよ。
──楽しさはteto時代とどう違います?
小池:……どっちも楽しいからね。でも、そうやって思い返すのも失礼な話じゃないですか。昔のライヴを楽しんでくれた人とかメンバーに対して失礼かなと思っちゃう。だから比べたくない。「昔はこうだったけど、いまはこう」とか言うことがしっくりこない。
──であれば、なんで去年セルフ・カヴァーを連続リリースしたのかな、という疑問も出てきますが。
小池:あぁ……まぁ俺が作ったいい曲なんで。
──葛藤はまったくなかった?
小池:最初はあった。まぁでも、そんなの関係ないかなって。なんかね、届けるべき人に絶対的に届けられてなかったので。曲がもったいない。あれで終わるのはマジで不完全燃焼なんで。もっといろんな人を巻き込んでやりたかったけど、それができなかったから。だから、曲に対しては「もったいない」でいまやれてるんだけど、その時の感情とか情とかは、あんまり持ってきたくない。あぁ、これなんか答えとして合ってるっぽいな。
──当時の感情を切り離すことが必要だった。
yucco:私は、もともとリスナーとしてtetoの曲を聴いてたから。最初に再録するって決まった時は「どうなるんだろう?」って不安はあったんですよ。先にその曲の完成形を聴いてしまっているし、この5人で出す形もまだ見えなかったから。でも、いざ録ってみたら、もうひとつの形の完成形ができたなって感じでしたね。前の曲がこう変わった、じゃなくて。完成形がふたつある感じ。前の曲が好きなのも変わらないし、いまの曲もめっちゃ最高だし。
佐藤:でも再録って、オマケみたいな感じだよね? それ主体ではない。
──いや、でもすごく大事な曲でしょう? たとえば「忘れた」や「光るまち」をライヴでやると、ポロポロ泣いてる子がフロアに大勢いたわけです。
小池:まぁ俺は目が悪いんで。見えてない。
──話を逸らさないで(笑)。いま、同じ湿度でやりたくないんだろうなっていうのは感じます。
小池:あー……同じ湿度……。まぁいま歌う「忘れた」は、あの時に歌ってたものではないと思う。逆にいま歌うのが相応しいのかな、とも思いますけどね。あの時はちょっと、そこまで表現できてなかったんじゃないかなぁって思う曲もいくつかあって。でもいま、いろいろ新しく形も変わり、時間も経って、ようやく自分が書いた歌詞に感動することもある。その時はただ筆を滑らせて出てきたものだったけど、それがようやく自分のモノになってる感覚がある。
──年齢を重ねて気づけることでもある。
小池:めちゃめちゃあります。ただ、そのうえで、やっぱり再録はオマケぐらいの感覚。そっちが主体じゃない。